夢物語じゃない関係性─漫画「忘却バッテリー」について話したい

 

忘却バッテリーを読んでいる時、人が人に向ける眼差しの優しさに涙が出そうになることが、多々ある。

忘却バッテリーは都立高校の新設野球部を舞台にした漫画だ。本作において語り手役を担う山田太郎は、中学時代のシニアリーグで「怪物バッテリー」と恐れられた投手・清峰葉流火(きよみねはるか・下画像右)と捕手・要圭(かなめけい・下画像左)と対戦。2人の圧倒的な実力に心を折られ、野球をやめることを決意する。その後野球部の無い都立小手指(こてさし)高校に進学するも、なんとそこにはあの怪物バッテリーの2人がいたのだ。

alu.jp

数多の名門校からスカウトされていたはずなのに、何故2人が都立にいるのか。それは、要圭が野球に関する記憶を全て失い、シニア時代は「智将」と呼ばれるほどの頭脳明晰さを誇っていたにも関わらず、野球を始める前の超絶アホな人格*1になってしまっていたからだ。清峰は要としか野球をするつもりはなく、要が家から徒歩5分の都立に行くからという理由だけで同じ高校に進学することを決めていた。

野球に対して強い拒否感を示し、キャッチャーの防具がダサい等と駄々をこねる要、いいから俺の球を捕れと傍若無人ぶりを発揮する清峰、それを宥める山田……なんだかんだちまちまと練習を続けていたところに、同じくシニアリーグで名を馳せていた遊撃手・藤堂葵(とうどうあおい・下画像右)、二塁手千早瞬平(ちはやしゅんぺい・下画像左)が偶然通りがかってしまう。

alu.jp

彼らもまた、数多のスカウトを蹴り、野球をやめて都立に進学していたのだ。まともな設備もなければ監督もいない、野球をするには全く適さない環境に幸か不幸か集結してしまった天才たち。「野球」というただ一つの共通項に導かれ、数奇な運命がいま動き出す──と、ここまでが大凡のあらすじになる。

alu.jp

 

冒頭に記載した「人が人に向ける眼差しの優しさ」は、この作品のいたるところに散りばめられていると思う。ただ、作者のみかわ絵子先生は本作品のテーマとして「天才の人とか、何かひとつしか出来ない人、それに人生全部賭けている人に興味があった」*2と話されているため、私が忘却バッテリーに見出しているものと作者ご本人が捉えていらっしゃる主題は全く異なるものであることを、まずご承知いただきたい。

 

これはあまりご本人には見られたくない見解だが、みかわ先生って相当現実的で、容赦の無い人だと思う。例を挙げればキリが無いが、たとえば35話ではまるまる1話分のページ数を使って、高校野球の名門・帝徳高校に通う名も無き球児にとっての最後の夏を描いた*3。110話では、この漫画の読者であればかなり思い入れが深いであろうチームが予選1回戦で敗退する、という衝撃的な展開を広げた。しかしこれらは決して突拍子もない世界線の話ではなくて、現実の世界でも十分にあり得ることだというのは、高校野球にそれほど詳しくない私でも分かる。激しい競争が渦巻く強豪校で3年間レギュラーを獲れない球児の生き様も、ライバル校かのような描写をされていたチームが、主人公たちと対戦する前に予選1回戦であっけなく敗退するのも、残酷なまでに現実的だ。

そんな風に容赦無く現実を突きつけてくる作家が、相反して優しい関係性を描いてくれている。何故だろうか。

 

ここで私の人格形成に大きな影響を与えた、川原泉先生による『笑う大天使』に触れさせていただく。当作品の巻末解説を書かれた児童文学研究科・赤木かん子氏は、川原先生について『川原泉のマンガがなんでそんなに心地好いのかというと…人が人を愛する、いたわるということ…みかたによっちゃごくごく当たり前(中略)のことをその独特のユーモアでもって、川原さんはふははは、と笑いながら描いてくれるからなんです』*4と評されていた。

忘却バッテリーの中でも、同じようなことが描かれている。そして私は、みかわ先生にも同じものを見出してしまっている。チームのメンバーがイップスに苦しんでいることを告白したら、よそよそしく気を遣うでもなく、ただ真剣に、克服できる方法を考える。顔色が曇っていたらさりげなく声をかける。相手が今まで歩んできた野球人生を考えた上で、あえてそっとしておくという選択もできる。成長速度に人ぞれぞれ違いがあることを理解して、出来なくても責めない。出来ないことが出来るようになったら、一緒にたくさん喜んでくれる。

こんなの、もう相手を思いやる、いたわる気持ちとか、優しさとしか言いようがないのではないだろうか。干渉しすぎず、突き放しすぎず、踏み入らない方がいい範囲を登場人物達が本来持っている良識で判断し*5、お互いに見守りあう関係性が、不自然にではなく自然と成立しているのだ。一見簡単なことかもしれないが、実は難しいことだ。でも、みかわ先生はそれを強調・誇張したりしない*6。物語が進んでいく中で当たり前のように描いている。夢のような、特別なものではなく、ただ「確かにそこにある」ものとして描いてくれているように思う。

だからこそ、胸の内にすとんと素直に落ちてくるのだ。こういうの、いいなあと。他人に向ける優しさって特別なものじゃなくて、当たり前にあって当然なものなんだ。やっぱりそうだよね、それを当然だと思うことって恥ずかしいことじゃないよね、と思わせてくれるのが、忘却バッテリーという作品の魅力の一つだ。

みかわ先生は、キャラクター設定を先に決めて、高校野球という題材は後から考えたと話されている*7。そのため恐らくは野球漫画が描きたかった、というよりもヒューマンドラマを描きたかった、のほうが強いのではないかと踏んでいる*8。先述の通り私は高校野球に詳しくないため、この作品が野球漫画として面白いかどうかを判断することはできない。しかし、人間関係が丁寧に描かれる作品が読みたい方や、一人の人間*9が作中でどう変わっていくかをじっくり見つめたい方には胸を張ってお勧めできる作品だと、そう思っている。

忘却バッテリーには、いわゆる大袈裟な「鬱展開」は存在しない。登場人物も、現時点では死亡していない。派手なアクションも無い。昨今話題を呼んでいる漫画作品に挙げられる共通項には、ほとんど該当しない。でも、どうかもっとたくさんの人に読んでほしい。私は忘却バッテリーを読んだ後、切ない、あたたかい、苦しい……そんな相反する感情で胸がいっぱいになる。それは、この作品が、「本当は当たり前に存在していてほしい優しさ」で満たされているからだ。

その優しさで以て、登場人物たちは信頼関係で結ばれている。その関係性は、時に羨ましいとすら思ってしまうほど、清らかで強い。言葉にすると陳腐なものに聞こえてしまう「優しさ」が、どれほど尊くて大切なものか。改めてそう思わせてくれた作品、それが私にとっての「忘却バッテリー」である。

 

shonenjumpplus.com

 

※本編のコマは全てアル様から引用しています。アル | マンガの新刊・無料情報メディア

 

*1:清峰は要について「圭は元々常にアホだった」と話しており、小学生時代は「ハイパーうんこ投げデスゲーム」に興じるほどアホな子どもだった。

*2:ハナコ書店、2022年8月6日放送より

*3:ご本人がツイッターに投稿されているので、こちらのリンクから読める→https://twitter.com/mikawaeco/status/1422754471054958596?s=20&t=EfN6YBSNcoDKPoxn4HfNag

*4:川原泉(1996)『笑う大天使』2巻、p.265

*5:実際、一部の登場人物はそれぞれ忘れられるなら忘れたいであろう過去を抱えているが、それに関してチームメイトに告白している様子は無く、踏み入って話を聞いたりする描写も無い。

*6:逆にみかわ先生がこれでもかとドラマティックな描写をするのは、1人の人間が生きてきた過程に集中して焦点を当てる回だと思う。

*7:ハナコ書店、2022年8月6日放送より

*8:みかわ先生もそれほど野球にお詳しくはないそうで、特に試合場面に関しては夫であり高校野球経験者でもある高嶋栄充氏と共にストーリーを制作されている。

*9:やたらと美化するでもなく貶めるでもなく、本当に一人の「人間」の人生を真摯に描かれている印象を受けるため、あえて「キャラクター」ではなく「人間」と表現している。