浮所飛貴のI'm comingによせて

※うきしょひだかに対して歪んだ解釈を持つオタクのゴリ厚バイアス文章です。

 

 2020/02/14放送の少年倶楽部で、浮所飛貴による「I'm coming」が世に解き放たれた。これは2019年のサマステで彼がソロ曲として披露したもので、初日のレポを見て頭を抱えたのが昨日のことのように思い出される。

 

 「I'm coming」はNEWS・手越祐也のソロ曲であり、当グループの掛け持ちである私は彼のパフォーマンスを現場で見たこともある。この曲は「手越祐也」がやりたいことや彼が得意なことが一切の引き算無しに高濃度で詰め込まれた曲であり、正直これを聴いた/見た時は「手越祐也にしか出来ない」とすら感じていた。

 浮所は以前より「歌を頑張りたい」と様々なメディアで発言していて(好き)その流れで「手越くんみたいに歌が上手くなりたい」と話していることもあった。だからいつか手越のソロ曲をやるのかなとうっすら思ってはいたけど、「あなた」とか「Encore」とかそういうバラード曲をやると思っていたのだ。(「プラトニック」だったらガチ泣きしちゃうな♪と呑気に予想したりもした)結論から言って私は浮所飛貴をナメていた。浮所担として不甲斐ない。彼がいつだってオタクの予想の斜め上を行くアイドルだってこと、該当担は経験をもって記憶に刻まれているはずなのにだ。

 

 先述の通り、「I'm coming」はアイドル・手越祐也の美学とか矜恃とかそういう何かが色濃く出てる曲である。ちょっと気は狂ってるけどそこもイイ。それなのに、浮所はこの曲をカバーしても曲に食われる事はなかった。演出も本家のものとは全く違うものを用意して、本家には無かった振りも付けてきた。でもそれだけじゃなくて、もっとぼんやりとした観念的な要因で、浮所はこれでもかというほどの自己表現をこの曲を通じて成し遂げている。そこに手越祐也の影はなく、ただ浮所飛貴としてパフォーマンスを全うした。末恐ろしいアイドルである。

 

 浮所飛貴はとにかく自我が強い。気も強い。負けず嫌いだし、すぐに他担を狩るし(浮所の他担狩りのファン)頑固なところもあると思う。だからこそ、自分が良いと思ったもの、カッコイイとする理想の姿を実現するためなら手段を選ばない強さがある。

 加えて、彼は中島健人平野紫耀を尊敬する一方で、「自分だけのカッコよさを出したい」「いつでも観客の目を引くパフォーマンスを」と度々発言している。そんな彼だからこそ、「I'm coming」をカバーすることが出来たのだと思う。理想を持ち、既存のものをリスペクトしつつ、自己を表現する努力を怠らない。その努力に対して自信がなければ、「I'm coming」なんて曲は恐ろしくてカバーできない。浮所飛貴は間違いなく只者ではないのだ。

 

 この回の少年倶楽部のオープニングで、「普段は言えない愛」をトークテーマとして発言を振られた浮所は、ファンへの感謝を口にし、最後に投げチューをしてみせた。そこだけを切り取れば、浮所は「王子様系の王道キラキラアイドル」として認識されるだろう。彼もそこを目指していると発言しているし、彼の自己ブランディングの巧みさには毎度目を見張るものがある。

 しかし彼の恐ろしいところは、決してそこだけに収まらないところである。本人が自覚しているかどうかはわからないが、それこそ「I'm coming」のような曲ですら難なく(オタクには「難なく」と見えているところが彼の底知れないところだ)こなしてみせる。あのパフォーマンスの浮所は、今まで見たことのない浮所だった。こんなこともできるんだ、と思って背筋が凍った記憶がある。常時の彼の天真爛漫さが偽物だとはけして思わないが、油断していると背後から牙を剥かれるような感覚に襲われる。多面性こそが浮所の魅力なのだ。

 担当の贔屓目が存分に入った発言だと自覚しているが、彼には間違いなく天下をもぎとるだけの力がある。彼の目が黒いうちは、虎視眈々と頂点を狙い続けるだろう。

 

 浮所飛貴は恐ろしいアイドルである。